神宮外苑

「明治天皇の業績を後世までに残そう」という趣旨で建設された洋風庭園で、内苑(渋谷区代々木にある明治神宮)に対して、外苑と呼ぶ。明治神宮による管轄の関係から、神社の敷地の一画と見なされている[要出典]。内苑である明治神宮は神社建築を基調としているのに対して、外苑は「洋風」を基調としているのが特徴である。通常は、略して神宮外苑と呼ばれることが多い。異称として神宮の杜とも呼ばれる[1]。広大な敷地の中に、よく知られている銀杏並木などの多くの樹木がある園地や明治神宮野球場(神宮球場)がある。なお国立霞ヶ丘競技場は、戦前は外苑競技場として外苑の施設であったが、1956年に文部省に移管され、現在は神宮外苑に含まれない。
明治天皇崩御後に建設が計画され、全国からの寄付金とボランティアにより、明治天皇大喪儀に際し葬場殿の儀が行われた青山練兵場跡地に1926年に完成した。明治神宮造営局主任技師の折下吉延により銀杏並木が設計され、聖徳記念絵画館を中心として、明治記念館、運動場、野球場などの施設が整備された。 戦後、銀杏並木の道路用地は東京都に移管され、競技場はアジアオリンピック開催に備えて国立競技場として文部科学省に移管・改築された。これを除けば、明治神宮外苑の全体は明治神宮が管理しており、広く国民に開放され、都心における大規模で貴重な緑とオープン・スペースになっている。特に、銀杏並木は東京を代表する並木道として知られている
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